斉木広一氏が引用した産経新聞の福島敏雄氏の文
http://www.news.janjan.jp/culture/0904/0904221982/1.php
村上春樹の受賞スピーチ「壁と卵」は巧妙なレトリック?
斉喜広一 2009/04/30
作家・村上春樹氏がエルサレム賞受賞のスピーチで「壁」と「卵」を比喩に使って、心境を語り、耳目を集めた。この話を過日、産経新聞論説委員が取り上げ、分析していた。世間一般とは大いに違う受け止め方だったので、これを参考に比喩の真意を考えてみた。
【耳目を惹いた産経コラム】
既に旧聞に属することだが、作家・村上春樹氏が、エルサレム賞受賞にあたって、イスラエルで行なった「壁と卵」と題する記念講演について、産経新聞論説 委員・福島敏雄氏が、同紙の4月18日付で、ちょっと耳目を惹くコラムを書いている。題して「『壁と卵』は何の比喩か」。 (注 エルサレム賞 イスラエル最高の文学賞。2年に1度、選考される)
「壁と卵」という比喩については、日本でも議論が起きた。が、福島氏はまず「村上ともあろう文学者が、こんな単純な比喩と二元論でイスラエルを批判する だろうか」、と切り込んでいる。そして、「村上はそうとうに入り組んだレトリック(修辞法)を駆使して、発言している」という。
「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます」と、村上氏は講演で述べる。そして、「卵」は 殻の中に「魂を持った個々の人間」、「壁」は「爆撃機や戦車やロケット弾や白燐(はくりん)弾や機関銃」を指す、としている。
【キーワードは「システム」】
この比喩は、「壁」=イスラエル、「卵」=パレスチナ、と日本では受け取られ、それを前提とした論評、議論がなされてきた。が、それは、日本の記者たち による「誤読」である、と福島氏は言う。そして、「ポイントは、これに続けて述べたキーワードを理解できなかったためであろう」と指摘する。そのキーワードとは、「システム」だ、というのだ。
村上氏は「卵と壁」について、こうも言っている。「その壁は名前を持っています。それは『システム』と呼ばれています」と。
そこで、福島氏は「『システム』は関係概念であって、実体概念ではない。つまり、イスラエルやテロ集団などといった『実体』を指していない」と、鋭く指摘する。
一方で村上氏は、『文藝春秋』(4月号)でのインタビュー記事「僕はなぜエルサレムに行ったのか」の中で、「システム」とは「シオニズム」や「イスラム 原理主義」、あるいは「オウム真理教」や「1960年代の学生運動の原理主義」である、と具体例を示している。これらは、講演では述べなかった事柄である。
そこで福島氏は言う。「イスラエルの国民は、他国の文学者に自国を批判され、拍手を送るほどの寛容さを持ち合わせているとは、とても思えない」。なのに、なぜ拍手を送ったのか。それは「イスラエルの聴衆は村上の言う“The System”を、日本の記者よりはよく理解していた」からだという。
つまり、この福島氏の論説では、村上氏が批判したのは、「壁=爆撃機=イスラエル」という実体概念ではなく、「システム」という関係概念である。だからこそ、日本では「壁」という語に捉われて、「イスラエル批判」と誤読して受け取られたのである。一方、イスラエルでは「システム」という語を正しく理解したから「拍手」で受け入れられたのだ、と締めくくる。
【村上は巧妙なレトリックを使ったのか】
さて、ここから、筆者の論考に移る。
村上氏は確かに、講演で「壁」は「爆撃機」や「戦車」や「ロケット弾」や「白燐弾」や「機関銃」を指す、と指摘している。問題はここである。「爆撃機」「戦車」「白燐弾」「機関銃」とくれば、これは「イスラエル」を連想せざるを得ないだろう。ましてや、「壁」という言葉自体から連想するのは、実際にヨルダン川西岸地区とイスラエルとの境界に建てた「壁」そのものを連想するのは、極く普通のことではないか(うがった見方をすれば、村上氏はあえて日本の記者 たちに「誤読」させたとも受け取れる)。
村上講演の巧妙(こういう言い方は適切でないかも知れないが)さは、わずかに「ロケット弾」という語を忍ばせて(それが「ハマス」を指すことをもって)、イスラエル国民に対する、自らの立場の中立性を担保したことであろう。
そして、そのことをイスラエルの「聴衆はよく理解」したから、拍手を浴びせたのだ、と産経・福島氏は言う。一方、日本の記者たちは、「壁」=「イスラエル」と誤読したのだ、とも言う。
もし、福島氏の分析が正しいとするなら、こういうことも言えまいか。 村上氏は、イスラエルに対しては、「システム」「ロケット弾」という言葉で、自らの(イスラエルの立場も考えているとの)アリバイを担保し、また、日本 (特に受賞に反対する人たち)に対しては「壁」「白燐弾」という言葉で、イスラエルを一方的に批判したかのような、立場をも担保した。
つまり、俗な言葉で言えば、村上春樹氏は、どちらにもいい顔をしただけではないのか、という疑問も残る比喩ではなかったか。
ここからは、スピーチの内容
壁と卵
こんな風にぼくはエルサレムにやって来ました。小説家として、つまり――嘘の紡ぎ手としてです。
ただ小説家だけが嘘をつく訳ではありません――政治家もそうですし(大統領には申し訳ないけれど)――外交官もそうです。ですが、ほかの人たちと違ったところもあります。ぼくらの嘘は訴えられることがありません……むしろ誉められさえするのです。嘘が大きければ、その分誉められさえするのです。
ぼくらの嘘と彼らの嘘との違いは、ぼくらの嘘が「本当」を明かすことに手を貸すことです。「本当」を完璧に把握するのは難しい――だからぼくらは、それをフィクションの領域に移し換えるのです。ですからまず、ぼくらの嘘のどこに「本当」があるかはっきりさせておく必要があるでしょう。
今日、ぼくは「本当」を語ります。ぼくが嘘をつかないのは、一年の内数日だけです。今日はその内の一日です。
受賞について尋ねられた時、ガザは戦闘状態だと警告されました。ぼくは自分に問いかけました……イスラエルを訪れることが正しい事かどうか? 片方に荷担することが?
少し考えがありました。そこで行くことにしました。多くの小説家と同じ立場を、ぼくに言われていたこととは反対の立場をとることにした訳です。小説家としては自然なことでしょう。小説家は自分の目で見るか、自分の手で触れていないことを信じることが出来ません。ぼくは見ることを選びました。何も言わないことよりも、話すことを選びました。
こんな風にぼくは述べに来たのです。
仮に壁が堅く高く、卵が潰えていようと、たとえどんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていようと、ぼくは卵の側に立ちます。
何故でしょう? ぼくらはそれぞれが卵だからです、ユニークな魂が閉じこめられた、脆弱な卵だからです。ぼくらはそれぞれ高い壁に直面しています。高い壁とはすなわち、ぼくらに普段通り個人的には考えさせないよう仕向けている、システムにほかなりません。
ひとつだけ、小説を書く時に意識していることがあります、個々人の神々しいまでのユニークさを描き出すことです。そのユニークさを喜べるように。そしてまたシステムがぼくらを絡み取ってしまわないように。だからぼくは――人生についての物語を、愛についての物語を書いています。人々に笑い泣きしてもらえるように。
ぼくら人なるものはすべて、個々の、脆弱な卵なのです。壁に逆らうことなどかないません……それはあまりに高く、陰気で、冷ややかなのですから。ぬくもりや強さを求めて魂をひとつにする、ぼくらはそうやって壁と戦うよりほかないのです。決してぼくらを、システムのコントロールに――ぼくらがつくったものに委ねてはなりません。ほかならぬぼくらが、そのシステムをつくったのですから。
みなさんに、ぼくの本を読んでくれているイスラエルの人たちに感謝します。願わくば、ぼくらがなにがしか有意義なものを分かち合えますように。ぼくがここにいるのは、ほかでもないあなたたちのおかげなのですから。
So I have come to Jerusalem. I have a come as a novelist, that is - a spinner of lies.
Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren't prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It's hard to grasp the truth in its entirety - so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.
Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them.
When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?
I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I'm told. It's in my nature as a novelist. Novelists can't trust anything they haven't seen with their own eyes or touched with their own hands. So I chose to see. I chose to speak here rather than say nothing.So here is what I have come to say.
If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.
Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals.
I have only one purpose in writing novels, that is to draw out the unique divinity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So - I write stories of life, love. Make people laugh and cry.
We are all human beings, individuals, fragile eggs. We have no hope against the wall: it's too high, too dark, too cold. To fight the wall, we must join our souls together for warmth, strength. We must not let the system control us - create who we are. It is we who created the system.
I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here.
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